「神田村のベランダから・・・」~【風俗遊歩】1980年前後のラブホのベッドは・・・~

「神田村のベランダから・・・」(vol.247)
~【風俗遊歩】1980年前後のラブホのベッドは・・・~

 いうなれば、其れなりの“歳”ということなのか。この
数年間、業界の“歴史”を刻印しておく必要に急き立てら
れている。
 これが、業界で糧を食んできた、食んでいる者の役目
なのではないだろうか、などと小欄なりに考えている訳
だが、この思いがより強くなったのは、2011年9月25日
以降だったように思う。
 9月25日とは、業界でもっとも尊敬し、多くのことを
教えていただいた先輩であり、師ともいえる、アイネシ
ステムの元会長、小山立雄氏の亡くなられた日である。
 小山立雄氏は1925年(昭和元年、10月4日)生まれ、
86歳を目前にして、亡くなられた。氏が業界に残した功
績はあまりにも大きく、果たした役割は小さくはない。
ご性格の良さは教養の高さをも示した。一方で私生活の
面では、ある種の成功した男性の多くがもっているよう
な、“危うさ”も秘めていた。
 この小山氏の、いわゆる“生きざま”に興味をもち、数
年前から、業界の歴史を整理している。

 そのための資料づくりとして、誌紙を漁っていたら、
ドキュメント作家であり、ルポライターの足立倫行(あ
だちのりゆき・1948年~)の作品の中に、興味ある記事
があった。

『人、旅に暮らす』・足立倫行・現代教養文庫

 この文庫は、1987年5月に「新潮文庫」から刊行され、
後に「現代教養文庫」として、1993年に再刊行されたも
の。内容は、全国を走り回る12人のプロ・職人の生きざ
まが紹介されているのだが、その中の一人に、ラブホテル
のベッド職人(?)・メーカーの「モールドベッド産業」
社長、橋場功雄氏が登場している。

 なぜ、12人かといえば、これは「新潮文庫」以前に旅
行雑誌・月刊『旅』(日本交通公社刊のちに新潮社刊)
に1年間、連載されていたからのようだ。

<国道127号線沿いにある千葉県君津市の十棟のモーテル
は、ほぼ七割がた出来上がっていた。十数人の大工が、一
月の房総らしい生暖かい雨の中、忙しそうに立ち働いてい
る>から始まり、
<「モールドベッド産業」社長橋場功雄(39)はさきほど
から飯場代わりに使用されている三号棟の部屋の真ん中に
胡坐をかいて坐り>
<「八号棟がそういういい部屋なら、そうね、≪御所車」
じゃなくてこちらの≪本御所≫はどう、幌付きで六十五万
円だけど?」>

 これは、文庫本の刊行年月、雑誌の連載等から推察する
と1985年(昭和60年)前後のことであろう。1985年といえ
ば、いわゆる「新風営法」が施行された年でもある。この年
の「店舗型4号(当時は3号)」の件数は、10,817店を数えて
いる。また、この「新風営法」によって、条文の中に初めて
“ラブホテル”(行政的には“類似ラブホテル”という表現もして
いる)なる単語が登場し、行政の解釈を示している。

 当時、業界で注目されていたベッド業者の中には、「モー
ルドベッド産業」の他に、「大阪通商」・「クィーンズベッ
ド」・「日産ベッド」・「ビケン」・「伊和貿易商会」など
がある。この中で、「クィーンズベッド」と「伊和貿易商会」
は輸入ベッド(主にヨーロッパ)であったが、他は“創作ベッ
ド”であって、いわゆる特注ということになる。これは、現在
の規格品(?)ベッドがマットを含めても10万円以下である
ことと比べると、いかに高額であったかが理解できようし、
ベッドが集客の要でもあった時代というわけである。
 前年、1984年には「アイネシステム」が設立され、大阪で
は「リバティ」、「もしもしピエロ1号店」等がオープンして
いる。この年の事件としては、未だに解決されていない「グリ
コ森永事件」が発生した年であり、「トルコ風呂がソープラン
ドに」なった年でもあった。

 橋場は<商品写真の載ったアルバムをゆっくりと押し出した。
≪京都≫、≪カプセル≫、≪王冠≫、≪ハリウッド≫、≪御所車≫、
≪本御所≫・・・、殺風景な部屋の中で、金色と赤色をふんだん
に使った絢爛豪華なベッドの写真の数々が、そこだけ光を集め、
秘密めいた輝きを放つ>

≪京都≫≪カプセル≫≪王冠≫≪ハリウッド≫≪御所車
≫≪本御所≫。これらはいうまでもなく、今日では殆ど聞くこと
のできない、ベッドの名称である。1985年の「新風営法」以降
も存在はしていたであろうが、「回転ベッド」「動く・振動す
るベッド」は法規制がかけられた。

<岩手県盛岡市は氷点下の六度>
<鉄筋コンクリート四階建て≪ホテルエンペラー≫は、市内南大
通一丁目、盛岡城の裏手の繁華街の一角にあった><部屋数十四。
オーナーは東北一帯に二十軒からのトルコ風呂を持つ地元の実力
者だという。橋場は、このホテルの件ではこれまですでに二回盛
岡にやってきた。三回目にあたる今回は、設計変更を見越しての
現場での寸法確認と、電気業者との配線の打ち合わせが主な目的>
<「空調が五百ミリ出るわけね。なるほど。そうすると、こっち
は千百五十のスペースがあるから、そうね、ベッドの枠をここま
で持ってくると・・・」>
<特注ベッドは文字通り特別注文ベッド。部屋ごとに間取りや内
装の異なるこの種のホテルに合わせ一台一台製作する手造りのデ
ザイン・ベッドだが、こうして内装以前の部屋を見てみると、な
ぜ特注なのか納得が行く。この段階でベッドの大きさと位置を微
妙に調整しないと、電話や照明の配線、それに天井の高さまで変
わってくるのだ。もちろん橋場が床に描くチョークの線は部屋の
圧倒的な面積を占めてもいる。ベッドは主役だ>
<「じゃあ次に向きですね。北枕? いえ、そういうのはこの業
界ではいっさい関係ありません>
<「男の位置はベッドに向かって本来左側なんです。すると、こ
う身体を起こしてこう手を伸ばしますね。スイッチはだから、こ
こらへん、右側にきますね。スナップスイッチはウチの方でつけ
ますから、電気屋さんの方で、そうね、このあたりまで線を持っ
てきてもらいましょうか・・・」>
<ラブホテルは外装・内装には女性客の嗜好を反映させるが、部
屋の機能的な側面はすべて男性客中心>

<昼前に盛岡での仕事を終えた橋場は><急遽予定を変更><一
関の≪ホテル芭蕉≫を訪ねることにした>
<「一度仕事をさせてもらったお客さんのところへは、暇を見つ
けて顔を出しておくのが商売を長続きさせるコツ」>
≪ホテル芭蕉≫は<国道4号バイパスから少し入った山の中、十二
棟のモダンな一戸建て建物がひっそりと雪をかぶって眠るように
建っていた>
<「うわァ、橋場さん、東京からどもども。けど、弱ったなァ、
いま一ッ番忙すい時で、ゆっくり話さすてるヒマねェんだわ。ほ
ら、これ見てくれや」>
<平日の午後三時、全棟は満室だった>

<「短期間で発展した業界っていうのは幾つもあるけど、この十
年間をとってみたら、ラブホテル業界がトップでしょうね。なに
しろほとんどゼロから出発して、いまや年間売り上げ一兆円って
いいますから」と橋場はいう>
<「不況に強いでしょ、好況に強いでしょ、景気に全然左右され
ませんものね。食欲、性欲、教育、この人間の三大欲求に関わる
商売ってのは、確かに強いですよ」>と橋場はいう。

 ここで、小欄としては若干の異論がある。それは、<短期間で
発展した業界><ほとんどゼロから出発>とあるが、ここに登場
してくる“ラブホテル”は「モーテル」であって、モーターリゼーシ
ョン(自家 用車が200万台に達したのは、1959年<昭和34年>)
以降の状況だ。
 つまり、「ラブホテルの源流」は、民族学者・国文学者の樋口清
之(1909~1997年)がいうように、「江戸後期の<お手引き茶屋>
<出会茶屋>」が正しいように思える。その流れは戦後の<連込み
旅館><逆さクラゲ>となり、モーターリゼーションとなって、
「モーテル」の誕生ということになる。そして、「ラブホテル」の
今日を迎えるという流れだ。

 また、ある文献によれば、1932年(昭和32年)頃、「エロ空間
(あきま)業」なる商売が誕生している。これは、「銀座で<空家>
の貼札や<短期貸家>の広告が目立った。<下宿人も置かずにもう
かるこの空き間業には堂々たる素人や電話持ちもある。警視庁のカ
フェ―取締りの眼が光って生まれた新風景で、円タクの遠出も危な
い、旅館ホテルは高すぎるうえに臨検が怖い、そこを狙ったのがこ
の<空間あり>1晩2円也。<ちょっと一晩見せてもらいたい>の2
人連れで大繁盛。絶対安全地帯というのでますますふえる一方だっ
た、という。相手は、バー、カフェ―の女給が多かったが、素人相
手の利用も盛んだった」そうだ。
 ちなみに、「モーテル」の1号は、1959年(昭和34年)・神奈川
県箱根町とされている。

<現在、日本には約七万軒のホテル・旅館がある。そのうちおよそ
二万軒がモーテルでありラブホテルであると言われている。正確な
軒数は、わからない><石油ショック以後も増え続け、急成長して
いる“産業”であるのは確かだ><一関のモーテルのマネジャーも
「この業界じゃ日に三回転は普通、夏と冬のシーズンには五回転は
させます」という>
<モーテル、ラブホテル専門の業者が多数現れ、我が世の春を謳歌
しているのも道理だ。専門業者は、建築設計家・内装業者・布団業
者とさまざまだが、ベッド業者は全国で十社。社員数十五名・年商
一億五千万円>

<ベッド本体が回転したり震動したりする機械仕掛けのベッドが出
回ったのは昭和四十四年から四十八年にかけて、最盛期は四十九年。
だが、電気系統の故障が相次いで現在では大半のベッド業者が生産
を中止している>

昭和43年(1968年)からのモーテル軒数を見ると、

昭和43年(1968年)・1413店
昭和44年(1969年)・2310店
昭和45年(1970年)・3958店
昭和46年(1971年)・5400店
昭和47年(1972年)・5919店

 というように、凄まじい数の「モーテル」が誕生している。ちなみ
に、ラブホテルの象徴ともいえる「目黒エンペラー」(社長・里見耀
三)は1973年(昭和48年)にオープンしている。ここから、「ラブホ
テル時代」に入ったともいえよう。

<「私らはお客さん次第ですからね。お客さんが望めば、いくらスケ
ベなものでも、マジメ人間としてマジメに作ります。だけど機械モノ
はお客さん自身がもう飽きちゃったんですね。お客さんもわかってき
たわけです。ベッドはやはり、ゆったりしたものに限る」と>橋場は
発言している。

<ここ数年の主流は「外見は豪華、構造的にはしっかりしたもの」だ
と言う。見た目の「豪華さ」は利用客のため、構造上の「堅牢(けん
ろう)さ」はオーナーのためである。普通、家庭用ベッドのマットレ
スにはト―ションバー・スプリング、ホテルなど業務用にはコイル・
スプリングを使用するが、特注ベッドではより強固なダブルコイル・
スプリングを使う。ベッドを酷使する度合が違うからだ。使用するダ
ブルコイル・スプリングは約四百個。「どう配分して埋め込むかが各
社の企業秘密なんです。でもね、どんなに頑丈に作っても、まず三年
もてばいい方ですね。固い固いスプリングが、三年後に取り出してみ
るとペシャンコになっていますよ。家庭用のベッドなら半年ともたな
いでしょうね。あの力の激しさといったら、そりゃ凄いものです」>
と橋場の感想を記している。

 また、橋場の業界に対する基本的な考えなのか、橋場がホテルオー
ナーに「社長、これだけは言っておきますけどね。幾ら儲かっても十
%の営繕費用、これは別にしておいて下さいね。いや、私がベッド屋
だから言うんじゃなくて、社長のためなんです。多いんですよ。儲け
た金全部使っちゃって三年も四年も内装を変えないオーナーって。そん
なんじゃ、一時はよくてもすぐ売り上げが頭打ちです」とアドバイス
する。

 本書の物語は「旅」をキーワードに活動する、各業界のプロを採り上
げている。
 橋場功雄氏は、「ラブホテルのベッド屋」としての登場だ。したがって、
本書の意図とは相違するかもしれないが、業界の時代背景と併せて読むと、
なかなか面白い。

 なお、橋場功雄氏とは30数年前に数回、お会いしている。

 また、本書(「現代教養文庫」)を発行していた「社会思想社」は、今はない。

レジャー・ラブホテル経営の情報発信基地
http://www.teidan.co.jp
(株)テイダン 店主 湯本隆信
yumoto@teidan.co.jp

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