連載③業界史の断面・忘却前夜の カウンターで・・・。亜美伊 新vs湯本隆信

 当連載は、今回で3回目。
 1回目は「レジャー・ラブホテル」の源流を探りながら、今日の原形を求めた。そこにあったものは、「レジャー・ラブホテル」の起源は江戸後期としながらも、日本の復興が目にみえてきた1950年(昭和30年)代後半という位置付けに辿り着く。その時代は、経済の拡大がモータリゼーションの発生を生み、高速道のインフラが進んで、「モーテル」が急激に拡大していく時代でもある。
 2回目は、経済の拡大が日本の生活様式を変更させたことである。「レジャー・ラブホテル」においても、その変化は顕著に現れている。つまりは、「和から洋」の時代であり、「和洋折衷」の時代でもある。客室の主役は「ベッド」であり、「弱電・システム」の時代の入口といえる。因みに、1972年の「モーテル」数は5,919店舗(警察庁)となっている。
 最終回である、第3回目は、1980年前後から、今日までを探っていくことにする。

1985年の意味するもの

湯本 1985年( 昭和60年) に、いわゆる「新風営法」が施行されました。ここで初めて行政は、「ラブホテル」という名称を用いたわけです。その要件も明文化されたわけですが、その要件に嵌らないホテルは、「ラブホテル」ではなかった。今でいう、「新法ホテル」ですね。したがって、「ラブホテルではない、ラブホテル」(一部では、類似ラブホテルともいわれた)が1985年以降も次々と建設されたわけですね。
 その時代の業界背景は、どのような動きでしたか。
亜美伊 1985年は、業界にとっては、先の「政令改正」以上に大変な衝撃でもありました。「もう、業界もこれで終わり」の雰囲気でしたね。業界全体が、結束した時代でもありました。
 1970年代後半、経済の拡大が土地の価格を押上げ、都市近郊においても、「モーテル」のような戸建・連棟式のものから、「ビル型」へと移行していくわけです。そのことによって、自から客室内のデザインも変化してくるわけですが、80年前後での客室の中心はベッドであり、浴室ということになるでしょう。ベッドは、まだ「和」の様相が多く、「御所車」・「京都」という名称もありました。浴槽は、タイル張りからFRPに変わる時代ですね。FRPの中には、「黄金風呂」といいまして、金粉のバスタブが多かったように思います。この金粉の「黄金風呂」は、後に「ソープランド」(1984年)となる、「トルコ風呂」で多くは使われていたものです。この、風呂の水ですが、大阪では「濾過機」を用いて、使用済みの「お湯」を巡廻させていた時代でもあったわけです。
湯本 1985年当時で、土地別建設費は1ルーム当り(建設費÷ルーム数)、どの位ですか。
亜美伊 ルーム当り、3,000万円前後には、なっていましたね。したがって、20ルームのホテルであるならば、6億円ということです。土地別で。もちろん、ルーム当り2,000万円というホテルもありました。しかし、これらのホテルは狭く、マンション風でしたから、可能であったわけです。いわゆる「ラブホテル」ということになれば、やはり3,000万円は必要ということです。主流はベッドとバスタブであってもね。現在のホテルと大きく違うところは、部屋の広さであり、バスルームの広さともいえると思います。あるオーナーさんは、部屋の広さのみならず、階高・天井も高くとっていた例もあります。
湯本 資金的にはいかがですか。5億も6億もということになれば、金融機関も簡単には……。
亜美伊 いゃ、現在と違って当時は、現金を持っていた人は、多かったですね。「ラブホテル」の理想的な初期投資は、3分1を自己資金で、3分の2を融資で、といったところでしょうね。1985年に向かって、客室は、よりファンタジック、遊びの空間、いわば「大人の遊園地」にデザインされていくわけです。例えば、1980年に私は「ラスベガスの部屋」というのをデザインしました。今、話題の「カジノ構想」ですね。この1980年に自民党の国会議員、ハマコーこと、浜田幸一氏(故人)がラスベガスのカジノで4億とも5億とも負けたということが話題になった。ひとつの“事件”があったわけです。この事件をイメージして、部屋にルーレットを置いて、「ラスベガスの部屋」にしたわけです。また、1985年には「阪神タイガース」が22年ぶりに優勝したわけですね。そこで、いゃ、私は阪神ファンですから、「タイガースの部屋」をつくりました。ベッドから装飾・壁紙まで、すべて縦縞。部屋中、タイガース色にしたわけです。これは、大人気でマスコミでも大いに採り上げられましたね。もちろん、これらの部屋は、ホテルの全室をデザインするわけではなく、1部屋でいいわけです。つまり、どう、時の話題を取り込むか、そして、ホテルをアピールしていくわけです。
湯本 ホテルをアピールする。当時の宣伝方法とは……。
亜美伊 この二つの事例は、ほんの一部です。当時、私は、あらゆる事象に対して、客室を具現化しました。もちろん、男と女の二人の「大人の遊園地」としてね。そこに、「ラブホテル」の本質があると、今でも確信しています。それらの具現化された客室は、週刊誌・テレビなど、あらゆるメディアに登場しております。日本ばかりではなく、海外のメディアにおいても。
 今、メディアが「ラブホテル」を採り上げますか。ほとんど見かけないでしょう。なぜか、その空間に「珍しさ」・「新鮮味」・「面白味」等がないからです。ある意味においては、1985年の「新風営法」は、「ラブホテル」を終わらせた、といえるかも知れませんね。

1985年以降から今日、ホテルはどう変わった

亜美伊 1985年の「新風営法」は、それまでの「ラブホテル」をすべて変えさせられた、といってもいいでしょうね。85年までの反動か、法規制のためか、客室は「シンプル化」していき、材質は高級化していくわけです。これらのホテルが志向したのは、一言でいえば「シティホテル」の小型版ともいえると思います。もちろん、その時代背景として、「経済の拡大」や「性の解放」、あるいは「風俗文化」の変更も大きな要因といえると思います。
 一方、世間が業界に対して見る眼も、87年の業界の映画、『マルサの女』(監督・伊丹十三)に象徴されるように(ラブホテル業界=脱税業界)、決して芳しいものではなかったことも、事実です。
湯本 「シンプル化」、素材の「高級化」の意味したものは、どのような……。
亜美伊 端的にいえば、「ホテル間の格差・差別化」がなくなったことですね。どこのラブホテルも新築されたホテルを見ると、特性・特徴がない。単に「シンプル」で、やや「高級」らしき素材を使っている。「面白味」に欠ける部屋づくりということです。その後に、各設計事務所・デザイン事務所が単一のテーマで登場してくるわけです。しかし、これらは既に10数年前のこと、今日では新鮮味にやや欠けることは、否めないことともいえます。平行して、「デフレ・不況」の時代となり、そこに「草食系」なり、「ノンセックスの時代」といわれ、利用客離れが始まり、需要と供給のアンバランスが、ホテルの売上を低下させ、「ダンピング合戦」に突入する。
湯本 負のスパイラル? そこから脱出するためにはどのような……。
亜美伊 この10数年間、多くの「レジャー・ラブホテル」は、改装・リニューアルも行わず、表層改装で済ましてきたわけです。一方で周辺競合店に負けずに料金のダンピングをしてきました。中には、利用料金が2,000円以下のホテルもあります。そもそも、1組当りの経費は、2,500 ~ 2,600円以上はかかるわけです。ホテル経営上、適正価格は宿泊・休憩の1組当りの平均料金は、7,200 ~ 7,300円は必要な料金です。そうでなければ、改装・リニューアル費用も捻出できないでしょう。さらには、どこの金融機関も、利益のでていない決算書をみて融資さえもしてくれません。したがって、売上を上げるためには「改装」であり、売上を維持するためにも、「改装」は必要なわけです。その「改装」も、「ラブホテル」としての「改装」であってほしいですね。
湯本 しかし、売上げが1ルーム20万円前後のところもあるわけですが。
亜美伊 私は今、コンサルタントとして、ホテル売買の現場もみております。そこでいえることは、ホテルの買手というのは、つねに「利回り」を計算しているということです。したがって、ルーム当り20万円前後ということになれば、多分に改装費も必要になってくるわけですから、売買価格は低くなるということです。
 とにかく、本物の「ラブホテル」がでてきて欲しい。そして需要を喚起して欲しいというのが、私の今の願いです。そのための、業界であって欲しいですね。

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連載②業界史の断面・忘却前夜の カウンターで・・・。亜美伊 新vs湯本隆信
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PROFILE

㈱アミー東京デザインルーム 代表
 亜美伊 新
(あみい・しん)
1945年生まれ。80年前後にレジャー・ラブホテル業界の設計・デザインで一世を風靡。現在は多くの実績と人脈で、業界の総合コンサルタント業務に携わっている。特に、ホテルの売買・金融・外資の投資家からの信頼は厚い。
掲載 LH-NEXT vol.18(2013年10月31日発刊)