「神田村対談」vol.2

(株)アミー東京デザインルーム 代表取締役 亜美伊 新 vs 店主 湯本隆信

 2月1日の「政令改正」実施後、約2年間の煩わしさから解放された当業界は、かつての経営に戻るべく胸を弾ませたが、3・11の「東日本大震災」の天災と人災によって、経営環境は全てが、変わってしまった。
 警察庁の発表によれば、1月31日に締切られた「4号営業ホテル」への届出は、2,758店舗となり、旧4号と合わせると、その数は、6,450店舗となった。一方、いわゆる「新法ホテル」は、約2,000店舗とみられる。この「新法ホテル」の中には、「4号営業」を希望しながらも、行政の指導で断念したホテルも少なくはない。
 何れにせよ、いわゆるレジャーホテルは「4号営業ホテル」か「新法ホテル」かのどちらかでしかなく、かつてのような“グレーゾーン”はない。
業界が混迷する中、かつて“ラブホテル”で一世を風靡したデザイナー・亜美伊 新氏(以下、アミーさん)に打開策を聞いた。

モーテルからビル型へ、時代背景が後押し 

湯本 私が初めて先生にお目に掛かったのは、1980年(昭和55年)前後。業界は1972年の「モーテル規制 風俗営業等取締法の一部改正」がされ、「目黒エンペラー」(1973年オープン、故・里見耀三氏)に象徴されるようにビル型のホテルが増加しつつある時代でもありました。その頃が、先生の独壇場でもあったわけですが・・・。

アミー 初めて私がモーテルを設計・デザインしたのは、1970年前ですね。これは70年に開催された「日本万国博覧会」との関係もあります。つまり、万博会場となった地主の方々が、土地を売却してモーテルを始めたのが、私がデザインをした始まりでもあるわけです。

湯本 70年前後の「モーテル」の店舗数は、68年に1,413店舗、69年には2,310店舗、70年には3,958店舗、「モーテル規制の一部改正」時の72年、この年は田中角栄の「日本列島改造論」が出た時でもありますが、店舗数は5,919店と急増しています。

アミー そうですね。これは時代的な背景もあるわけです。つまり、経済が豊かになり、性の解放へと人々の心が向いていくわけです。
 当時のモーテルの部屋数は5、6部屋が多かったですね。ところが、後からオープンするホテルは、部屋数が次々と増えていくわけです。70年前後で私が、もっとも部屋数が多かったホテルをデザインしたのは、関西で28部屋でした。部屋数を多くしたために、部屋は狭くなってしまいましてね。そこで、部屋中に「鏡」を貼ったわけです。広く見せるために。ところが、これが大人気。こちらの意図したこととは違って、利用者よりもこちらが驚いたことを覚えています。
 それと当時、生まれたといいますか、流行ったのが「落書き帳」ですね。これは、宿帳の代用としてスケッチブックを部屋に置いたわけです。それが何時の間にか、「落書き帳」になったわけですね。どうでしょう。今日でいうところの「Twitter」ですよ。客同士のコミュニケーションの始まりですね。
「モーテル規制」がでてから、ビル型へと移行していくわけですが、これは地価との関係でもあるわけです。先ほど、「目黒エンペラー」のことがでましたが、関西では既に次々とビル型のホテルはできていましたね。ただ、東京でマスメデアに採り上げられたのが、「目黒エンペラー」ということですね。夜のテレビや週刊誌にいつもでていましたから。

湯本 社会の背景、経済であり、文化であり、風俗と合意していた。

アミー そうです。それでデザインは次々とエスカレートしていくわけです。それをマスコミが追いかける。そこに客が集まる。その繰返しでしたね。
 ただ、モーテルからビル型に移行していく過程では、実はホテルの設計者・デザイナーというのは存在しなかったですね。殆ど、建築屋さんが設計していましたから。よく言われましたよ。「紙と鉛筆になんで金払わないかんの」ってね(笑)。そういう時代でした。

ラブホテルとは何か 

湯本 1985年(昭和60年)に、いわゆる「新風営法」が施行されるわけですが、その年以前をみると、83年には、今年から休業に入り、解体が決まった「赤坂プリンスホテル新館」(設計・丹下健三)がオープンし、「東京ディズニーランド」が開業しています。84年には、全国で120数店舗を誇った「(株)アイネシステム」が設立されている。
 また、ホテルのオープンでは、大阪で「リバティ」(西33・東32部屋)、「もしもしピエロ1号店」、「キャンディBOX」などがあり、社会の動きでは、「グリコ森永事件」、「トルコ風呂がソープランドに」なったのも、この年でした。設計・デザインでみると、どうですか。

アミー この当時は今と違って、デザインや設備で集客するというのが、基本でしたね。また、利用者がそういう空間を求めもしたわけです。この「ラブホテル」という空間は、“非日常”であり、“異日常”の空間なわけです。家庭・自宅にないもの、2人だけの為の空間です。1、2時間であったり、数時間のための空間。そうであるなら、デザインも2人の空間にしなければならないでしょう。設備においても、欲しいけれど家庭では買えないもの。置けないもの。高価なもの。それらのものが存在するのが、「ラブホテル」です。

湯本 時々の話題とデザイン。「ラブホテル」のデザインは時代が創る。

アミー そういうことです。どこかの政治家の「ラスベガスカジノのルーレットの部屋」、「ロス疑惑の銃弾の部屋」。

湯本 そういえば、「阪神タイガースの部屋」なんていうのもありましたね。

アミー そうです、そうです。これは85年に阪神タイガースが22年ぶりに優勝したものですから、嬉しくなって、部屋中を縦縞と阪神カラ―にしました。クロスからベッドから、すべてタイガース。痛快でしたね。マスコミにも十分にアピールして、大騒ぎでしたよ。

湯本 そういうデザインをオーナーさんに提案した時、オーナーさんは、どのような反応を示すわけですか。

アミー いゃ、私の場合は、「任せなさい!」ですから、何処にいっても。別に何もないですよ。すべてを「任せない」限り、私は仕事を受けませんから。私の仕事は、ホテルを利用する、お客様第一主義です。お客様に支持されるということは、集客アップとなり、売上もアップするということです。
話題性のある部屋創りをするということ。これは、すべての部屋を、そうするということではないわけです。20なり30なりの部屋数の中の1つでいいわけです。そのホテルの“メダマ”の部屋です。その部屋に徹底的に傾注するわけです。よく皆さん方が、「話題性は一過性のもの」みたいなことを言われますが、まったく違いますね。その話題というのは、継続性・持続性が生まれるわけです。「ラブホテル」というのは、1か月に何回行くところですか。一般的には年がら年中は行きませんよ。だから、話題性が必要なわけです。ですから、「任せなさい!」となるわけ。

湯本 設備においては、いかがですか。

アミー 大きくは、ベッド・バスルーム・置物あるいはシステムの3つにわかれるでしょうね。
特に、80年代はベッドに特異なものがありました。基本は「テーマ性・仕掛け・動き」ということになります。部屋に船を浮かべてベッドにしてしまう。キャデラックをオープンカーにしてベッドにする。スリー9をベッドにして動かす。バスルームも滑り台を付けてバスタブに突入する。透けて見えるバスタブを上下させる。バスタブにブランコを付ける。もう、何でもやりましたね。もっとも、あるホテルで有名な相撲取りが入って、重さに耐えかねてベッドが壊れたこともありましたが・・・。

湯本 置物・システムというのは、まぁ、設備機器ですよね。80年代に驚いたのは、「自画録」といわれるものがありました。自分達の行為を、「スタート」して、「録画」して、「再生」して、「消去」するというもの。

アミー 私らは、たしか「自己録」って言ってましたね。カラ―で180万円、白黒で90万円はしていました。ライトを2つも3つも付けて、大きなテレビモニターで自分達の行為を見るわけです。時々、テープが絡まって、消去できずにテープが流出したりして。

湯本 ある北陸の方の政治家のテープが流出して、週刊誌ネタになったこともありましたがね。設備機器も時代とともにさまざまなものが入ってきたわけですが、これらについてはいかがですか。

アミー 設備機器が「ラブホテル」に入ってきたこと。これはデザイナー、クリエイターとしては、失敗であったと思います。当時、多くのホテルの利用時間は、関西では1時間でしたが、それ以外の地域では2時間でした。ところが、2時間居ることなく、1時間40分程で帰ってしまう。20分も残して。これはデザイナー・クリエイターの負けです。

湯本 その後、カラオケも入った。次々に大型テレビも入った。家庭では購入することができない高価なものが入ってきた。

アミー 一方でどうですか。この7月から「地デジ」になるのに6月の段階で、その対応ができていないホテルも少なくないわけですよ。これでは“非日常”も“異日常”もないですね。家庭の、自宅の空間よりも劣っていることになります。これでは、お金をいただけませんね。

今後、求められる「ラブホテル」とは 

湯本 この「政令改正」後、さらにはこの2、3年、業界では他の業界同様、対前年割れが続いている状態ですが、今後、集客・売上アップのために、何をすべきと考えますか。

アミー まず言えることは、現在の「ラブホテルはラブホテルになっていない」ということです。私も、「ラブホテル」の設計・デザインをやってきましたが、それぞれのホテルをみて思うことは、どの部屋も同じということであり、どのホテルも同じ、ということです。建材・照明・色づかい。さらには設備機器。「ラブホテル」のための空間になっていないということです。
 特徴のないホテル創り、驚き・感動のない部屋創り。これで、お客さんが来てくれますか。需要と供給のバランスはとっくに崩れているわけですよ。今のままなら、新たな顧客・利用者の掘起しはできないでしょう。もちろん、法律だけではなく、条例も守らなければなりませんが、魅力ある設計者・デザイナーが少ないですね。

湯本  オーナーさんについては、いかがですか。

アミー 今のオーナーさん。多くは二代目の方々でしょうけど、「ラブホテル」の経営者として胸を張ってほしいですね。初代の、今のオーナーさん方の親御さんは、もっともっと自分のホテルを愛し、お客さんに喜ばれ、自信をもって、誇りをもって「ラブホテル」を経営していましたよ。今のオーナーさん方には、もっと“泥臭さ”“探究心”をもって欲しいですね。そうすれば、新たな利用者・顧客は生まれます。“知のインポテンツ”は、この業界には必要ありません。業界全体が、もっともっと盛上がることを望みます。元気になるためにね。

湯本 一世を風靡したデザイナーであり、現在は経営コンサルタントをやられているアミーさんの楽しく、厳しいお話しでした。ありがとうございました。

レジャーホテル・ラブホテル経営の情報発信基地
(株)テイダン 店主 湯本隆信